出身地:盛岡市生まれ、一関市育ち
身体値:身長172センチ/体重60キロ
年齢:最近物忘れがひどくて・・・
家族構成:妻1人/子供3人/婆ぁ1人の六人家族です
願い事:娘が中学校を卒業するまで髪がありますように・・・髪様(必祈×必願)
今年の抱負:今年も娘と普通に会話できますように(なにせ思春期ですから)
趣味:[山に登り,山に還り、家に帰る」がモットー
嗜好品;発泡麦ジュースが大好き♪週4日は休肝日(T_T)にしています。
性格:何事も登山のように地道に一歩と一歩と歩んでいく地味なタイプです。
野望;いつの日か腰痛治療の名人と言われたい・・・
【センテ先生のどうでもいい話⑳ 使えない凄い技
ある日著名な気功師の動画をみていました。手を触れずに他者の体を動かしていました。アレッと私の脳内に何かがヒラメキ、カラクリが、仕掛けが理解できたのです。もしかして私にもできるかもしれない!さっそく試してみると・・・動×動く簡単に手も触れないのに動くではありませんか!!これでオイラも超一流の治療家のお仲間入り♪技の名前は必殺ヴォイスに決定・・・さてこの技をどう治療にいかすか?長考したのちに悟ったのは。。。手を触れずに体を動かすよりは直接体に触れた方が確実で早いということでした。かくして早くもこの凄い技はお蔵入りとなりました。
【センテ先生のどうでもイイ話⑲ 完敗!】
なぜなのか私は昔から病院の先生とはあまり相性が良くない。例1 膝の捻挫で受診してこのケガは何日くらいで治りますか?と訊ねたところ「俺に分かるか馬鹿者!」と怒鳴られ 例2 突然腕に発疹ができて診てもらった時に先生にこの発疹は何が原因ですかと訊ねたところ「俺が知るか馬鹿者」と怒鳴られ 例3 風邪をひいて病院へかかった時、先生:「どうしました」私:「風邪をひきました」先生:「馬鹿者!風邪を引いたいるかいないかは俺が判断する(怒)」診療後 私:「どのような状態でしょうか?」先生:「風邪だ」 心の声」:「先生これは漫才ですか?」 例4 当時風邪は薬で治ると信じていた頃、微熱がでたので早めに薬をもらい治そうと病院を受診した時。この頃はレントゲン被ばくの問題が騒がれていた時期でした「先生、咳もなく、のども痛くないのでレントゲンは遠慮したいのですが・・・」私の言葉を聞くなりムッとした顔で「私の診察が受けたく無ければ帰りなさい」と帰されました。診察代は払って・・・ etc 去年私は持病が悪化してしまいどうにかならないかと焦っていたときのことです。以前から主治医に訊ねるに訊ねられない疑問が多々あったのですが・・・もし主治医が答えられなければ「どうしょう」という戸惑いがあり、なお時間がかかり迷惑ではという思いがあり聞けなかったのです。ネットを検索しても答えが得られない疑問でした。そこで私は病院へいきセカンドオピニオン(他の先生の意見を聞くこと)をお願いすることにいたしました。残念ながら予想通り主治医とはひと揉めありましたが何とか磐井病院を紹介されました。激込みであっても必ず聞く!と決意して向かいました。質問は7項目。用紙に書いて行きました。ところが予想に反して閑散としていてあまり待つことなく診察を受けることができました。薄暗い診察室で30代とみられる先生は足を開脚してだらしなく斜めに椅子に座っていました。一見「これはアカン!」という言葉が雷光のように脳裏をひらめきましたが、態度と知識は一致しません。ここで様々な疑問点を解消しなければ私は前へ進めません。さて聞きますかと意気込んだところ、先生の方から「これは開業医の先生は患者さんには話さないことですが」と前置きしてから話始めました。具体的な数値を示して解説していただき、私が聞くまでもなく全ての疑問の答えを話していただけました。恐らく私同様に悩み、相談にくる患者さんも少なくないということでしょうか。全ての回答はいただけましたが最後にひとつだけ尋ねてみることにしました。「先生、私の疾患は手術は可能でしょうか」 先生:「出来ますよ。(ここで先生は私のフルネームで呼びました)さん、もしあなたが私のオヤジなら絶対に止めます」私の完敗です。私がこれからこの持病とどう付き合っていくかーーー前へ進める言葉でした。
【センテ先生のどうでもいい話⑱】
幸いにして私は不幸な人間ではありませんが、自他ともに認める不運な人間です。日々私に降り注がれる不運の数々を妻はプチ不運の男と揶揄しております。そんなささやかなプチ不運の話です。私は登山から帰ってきて、早速まず発泡酒を一杯飲み干しました。気分よく酒のつまみを作り始めました。玉ねぎ、ネギ、キャベツ、ソーセージ、ニンニクつぶして、オリ-ブオイルをふりかけ、最後に唐辛子を包丁で細かく刻んで振りかけて炒めれば完成ですが、ここでプチ不運が舞い降りてきたのです。台所の室温30度以上、調理を3すればたちまち顔面には球粒のような汗が噴き出したのです。ティシュでふけばよかったのですが、面倒くさくいので左手で顔の汗を何度も拭ってしまったのです。わずか数分後恐ろしい異変が起きたのです。顔がチリチリとし始めたのです。日焼けのせいか?と思っているうちに顔面は焼けるように!火を噴くかのように!燃え上がったのです。慌てて顔を洗うも時すでに遅し。そうなんです、唐辛子を刻んだ際に手を水洗いしなかったために知らずに唐辛子成分を汗まみれの顔に塗ったような状態になってしまったのです。日焼けも加えて約1時間苦悶苦闘の大騒ぎをしてしまいました。
【センテ先生のどうでもいい話⑰ 幻の山道】
数十年前私は駒形山直下の雪渓におおわれた尾根を経塚山へと向かって歩いていていました。この時期雪が解けた箇所が何か所もあり、何気なく右側の尾根筋方へと歩いてみるとそこには平で直線の幅2メートル程度の見事な登山道が現れました。なぜこんな場所に登山道があるのだろうか?訝しくもこの登山道を歩いてみました。枯葉が敷き詰められたとても快適な歩きやすい道でした。一見すると結構歩かれている登山道のように思えましたが・・・しかし私の記憶の限りではこの尾根には登山道は存在しないはずなのです。すぐにこの登山道は雪に埋もれてしまいましたがどうみても自然に形成された道にはみえませんでした。かつての古道の残りかと推測してわたしはさらに奥へと歩みを進めていきました。下山後数日して何気なく30年前の古地図を引っ張り出して見てみましたが(古地図には当時ですら廃道同然の道が記されています)やはり道はありません。獣道?里山にはそのような道が隠れ道があることはよくあるのですが、あのような高所ではさすがに。その後も何回となくこの尾根を歩いたのですがいつも残雪に埋もれあの山道をみることはいまだにかないません。また数十年の時のせいか場所ですら不確かになりまさに幻となりました。私の記憶だけにある山道の話でした。
【センテ先生のどうでもいい話⑯ 私が物を落とすと・・・】
私のプチ不運のひとつとして消える落下物という現象があります。普通の方が物を落とせば、落とした物はまっすぐ下へと落ちて床や地面に転がっているはずですが、私の場合は違うのです。無いのです!下に落ちたはずの物がどこにもないのです。薬の錠剤も画鋲も小銭もネジもメモ用紙もカードも視界から消えるのです。みんな落とした地点より移動して隠れてしまうのです。ウチのオクさんはアナタが落とした時動くから落し物が足にぶつかり移動するのよ!!と看破いたしました。が・・・しかし無いのです。落とした物は私の視界から消えるのです。あるの日の治療院の待合室でのことです。私の手から掲示板にはろうとした画鋲がひとつこぼれ落ちていったのです。案の定、下を見る限り床には画鋲は見当たりありません。そっとスリッパを脱いで足で蹴飛ばさないようにして身をかがめて画鋲を探しましたが・・・影も形も見当たりません。止む無くウチのオクさんに画鋲の捜索を依頼しましたが、さすがのウチのオクさんも発見できませんでした。しかし数日後ウチのオクさんはついに画鋲を見つけたのです。消えた画鋲は待合室の椅子の後ろに転がっていたのです。文章にすれば「それが?」ですが、これは奇跡です!画鋲が起こした奇跡なのです!!状況を説明いたしますと、画鋲が落下した地点より直線にして140㎝/椅子と壁の間を転がり、そこからカーブして60㎝椅子の後方を転がり止まったのです。落下地点より計200㎝何にもぶつかることなく移動したのです。さすがのウチのオクさんも脱帽でございました。こうして日々落とし、日々探しているのです
【センテ先生のどうでもいい話⑮ 子供は食べるのが遅い??】
我が家ではみんなそば好きであります。子供たちも幼いころからもりもりとそばを食べて育ちました。すでに閉店いたしましたが、北上市に松苑という有名な蕎麦屋さんがあり、子供たちはこのお店の蕎麦が好きで年に1~2回を連れていって楽しんでおりました・・・とある日の松苑で蕎麦を食べてい時のことです。お昼前にいったのですが、子供のことですから食べるのが遅い!そのうちにお店には他のお客さんが増えてきました。このお店では店主が店内にて椅子に座り、気が向くと客に話かけてくるそういうお店でした。子供たちはようやく蕎麦を食べ終わり駆けたときに店主が椅子から立ち上がりこちらに向かってくるのが視界に入ってきました。また話しかけられるのかな?と思っていたところ仏頂面の店主の言葉は予想外の言葉でした。「店が込んできたので帰ってもらえませんか」「はあ、はい?」いままでいろんなお店で食べ歩いてきましたが食べている途中で帰れと言われたのは初めてのことでした。よほど子供たちの食べるスピードにイラついたうえでの言動だと思います。子供たちが楽しみしていたシメの蕎麦湯はなだめながらあきらめてもらい、早々に店を出ました。二度と行くことのないお店ですが、私も自営業のいち経営者として常に自戒しなければならない出来事でした。
【センテ先生のどうでもいい話⑭ 妖怪ケータロー】 我が家には妖怪が住んでいます。名前はケータロー。子供たちがお風呂に入っているときガラス越しにサーッと駆けて行ったり、夜寝るときに天井で覗き込んでいたり、一人で部屋で遊んでいると隅で物音を立てたり、ドアの陰からスッと黒い姿を見せたりと子供たちを怖がらせて喜んでいる妖怪でした。時が過ぎ子供たちの成長とともにケータローは現れなくなりました。ケータローは他の子供のいる家にでも移っていったのだろうかと思っていた今日この頃何とまたあらわれイタズラを始めたのです。母が「サイフが無くなった!高価なダシの元が無くなった!果物のジュースが箱ごと無くなった!」と騒ぎ、さらにケータローのイタズラは母だけにとどまらず私にまでおよんできたのです「メガネが無い!診察券が無い!通帳が無い!ここにあったはずなのに!!etc・・・」本当に困った妖怪です。
【センテ先生のどうでもいい話⑬ 歴史の迷考】 岩手県内には経塚山という名を冠する山は2つあります。全国にも同名の山は散在しており、由来は山の頂にお経を奉じたというのが多いかと存じます。北上市の経塚山は800年代後半に慈覚大師が万徳寺という寺を開いたということが伝わっておりますが、半年以上も雪に埋もれる山域に寺を開いたとて水/食料の確保が困難ですし、経塚山までいくには夏油温泉よりさらに奥へと登って行かなければなりません。仮に記録通りだとしてもすぐに廃寺でしょう。今回はそんな経塚山のお話です。現在経塚山は沢を渡る橋が流され登山者も少ない山です。そんな経塚山へ20年程前に登った時のことです。山頂直下の木々の中に一枚の大岩と遭遇したのです。苔におおわれた見事な大岩でした。しかし見れば見るほどその大岩は岩ではなく、石碑にみえるのです。いびつながら長方形の表面が人為的に削られたかのように平らな大岩なのです。岩の表面に何か文字でも彫られてはいないかと触れてはみましたが苔むし、風化して何も痕跡は見当たりませんでした。思いは巡ります。遠い昔、かつてこの岩には経塚山と刻まれこの石碑のしたにはお経がいれられた経筒が埋められていたのではないのでしょうか?この岩こそが経塚山の由来かも・・・いまも岩は誰の目に触れることなく、語ることなくヤブと風の中にあります。
【センテ先生のどうでもいい話⑫ のろ車の奇跡】 幸いにして私は不幸な人間ではありませんが、自他とも認める不運な人間です。うちの奥様にはプチ不運の持ち主と揶揄され続けております。そんなある日のプチ不運の奇跡の話を。私は車で外出すると必ずのろ車、法定速度より遅く走る車に遭遇します。調子のよい時は入れ替わり立ち代わりにのろ車に捕まります。かたや奥様が運転するとスムーズに走っていきますし、たまにのろ車に捕まっても早々にいなくなってくれます。そんなある日のドライブ、私は鳴子より国道4号線に合流しました。目の前には古い型の白い軽自動車が走っていました。後方から見ると高齢のお二人が乗っているようでした。「ゲッ岩手ナンバー、マジで一関まで一緒?」予想通り前を走る白い軽自動車は40~50キロの安定したスピードでノロノロと走っていくのです。カーブは一気に減速!30キロまでスピードを落とすのでした。車内で悲鳴をあげる私でしたが、いつもであれば後続車が並びプチ渋滞が発生するのですが、不思議なことにこの日は後続車が連なることはなく次々と左折/右折して並ばなかったのです。岩手ナンバーをつけた2台の車が築館~一関間の中間あたりに差し掛かった時私は大変な事に気が付いたのです。なんと!ここまで一度も信号で止まっていない。まさか!まさか?なんどか止まりかけては信号が変わりを繰り返し、ついに一関まで一度も止まることなくたどり着いたのです。奇跡です。。。のろ車が起こした奇跡です。築館~一関間をノンストップで走り抜けたのです。白い軽自動車は無事萩荘方面へ左折して私はようやくのろ車から解放されました。しかし自宅までの3つの信号すべてに捕まりました。
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
2年連続はなまる賞受賞??
?