素顔の院長

出身地:盛岡市生まれ、一関市育ち
年齢 ;最近記憶力が・・・
趣味 :山登り/山に還り、家に帰る

野望;いつの日か腰痛治療の名人と言われたい・・・

【センテ先生のどうでもいい話㉒】
 欄梅山の展望台から市内を見渡すと円状に同じ高さの山々に囲まれていることがわかります。私は一関市の地形はもしや隕石が落ちたクレーターから形成されたものではないかという仮説をたてました。市内を囲む山々はクレーターよって形成された外輪跡ではないかと推測されます。数万年前。いや数百万年前にこの地に隕石が落下していまの一関市の地形が形成されたのではと。私はこの自分の仮説を証明するために休日を利用して中心部と推測される場所に隕石の痕跡を見つけるべく発掘を・・・していません。

【センテ先生のどうでもいい話㉑】 磐井川の謎の舗道?
 今では知る人も少ない舗道である。いやそもそも舗道であるかどうかも怪しい。何の目的で作られたのかも定かではない。私が小学校時代の友達が磐井川の上にある住宅街に住んでいて私は頻繁に通い徒党を組んでこの住宅街を遊び回っていました。遊ぶ場のひとつとしてアイスやジュースを売っているお店の手前に急峻な崖を下る細い道がありました。我々はこの不確かな道を下るとそこは!釜ヶ淵がⅬ繰り出す乱気流の川の流れ、謎の洞穴、川向うには高校が、背後は崖、この河川敷はパラダイスでした。「先日釜ヶ淵で高校生がおぼれしんだ」「釜ヶ淵の底には人骨が何体もあり、激しい流れのために回収できない」と噂が飛び交う場所でした。舗道は河川敷より黒沢橋へ向かって少しのところにあります。あれだけ激しい釜ヶ淵が一転して浅瀬の穏やかな流れで広い川幅の中にコンリートで作られた舗道みたいな道が対岸へと続いているのです。我われは声を掛け合いながら川の中を歩いていきます。今目撃されたら大騒ぎになるでしょう。我々は無事対岸にたどり着き、高校の裏にある崖に貝の化石を(昔は取れたのです)戦利品として堀って帰ったのです。恐らく磐井川の整備時に対岸へ行き来できるように作られたものではないかと推測します。今では劣化してひび割れているでしょう、忘れられた誰も歩くことのない川の中の舗道です。

【センテ先生のどうでもいい話⑳ 使えない凄い技
 ある日著名な気功師の動画をみていました。手を触れずに他者の体を動かしていました。アレッと私の脳内に何かがヒラメキ、カラクリが、仕掛けが理解できたのです。もしかして私にもできるかもしれない!さっそく試してみると・・・動×動く簡単に手も触れないのに動くではありませんか!!これでオイラも超一流の治療家のお仲間入り♪技の名前は必殺ヴォイスに決定・・・さてこの技をどう治療にいかすか?長考したのちに悟ったのは。。。手を触れずに体を動かすよりは直接体に触れた方が確実で早いということでした。かくして早くもこの凄い技はお蔵入りとなりました。

【センテ先生のどうでもイイ話⑲ 完敗!】  
 なぜなのか私は昔から病院の先生とはあまり相性が良くない。例1 膝の捻挫で受診してこのケガは何日くらいで治りますか?と訊ねたところ「俺に分かるか馬鹿者!」と怒鳴られ 例2 突然腕に発疹ができて診てもらった時に先生にこの発疹は何が原因ですかと訊ねたところ「俺が知るか馬鹿者」と怒鳴られ 例3 風邪をひいて病院へかかった時、先生:「どうしました」私:「風邪をひきました」先生:「馬鹿者!風邪を引いたいるかいないかは俺が判断する(怒)」診療後 私:「どのような状態でしょうか?」先生:「風邪だ」 心の声」:「先生これは漫才ですか?」 例4 当時風邪は薬で治ると信じていた頃、微熱がでたので早めに薬をもらい治そうと病院を受診した時。この頃はレントゲン被ばくの問題が騒がれていた時期でした「先生、咳もなく、のども痛くないのでレントゲンは遠慮したいのですが・・・」私の言葉を聞くなりムッとした顔で「私の診察が受けたく無ければ帰りなさい」と帰されました。診察代は払って・・・ etc 去年私は持病が悪化してしまいどうにかならないかと焦っていたときのことです。以前から主治医に訊ねるに訊ねられない疑問が多々あったのですが・・・もし主治医が答えられなければ「どうしょう」という戸惑いがあり、なお時間がかかり迷惑ではという思いがあり聞けなかったのです。ネットを検索しても答えが得られない疑問でした。そこで私は病院へいきセカンドオピニオン(他の先生の意見を聞くこと)をお願いすることにいたしました。残念ながら予想通り主治医とはひと揉めありましたが何とか磐井病院を紹介されました。激込みであっても必ず聞く!と決意して向かいました。質問は7項目。用紙に書いて行きました。ところが予想に反して閑散としていてあまり待つことなく診察を受けることができました。薄暗い診察室で30代とみられる先生は足を開脚してだらしなく斜めに椅子に座っていました。一見「これはアカン!」という言葉が雷光のように脳裏をひらめきましたが、態度と知識は一致しません。ここで様々な疑問点を解消しなければ私は前へ進めません。さて聞きますかと意気込んだところ、先生の方から「これは開業医の先生は患者さんには話さないことですが」と前置きしてから話始めました。具体的な数値を示して解説していただき、私が聞くまでもなく全ての疑問の答えを話していただけました。恐らく私同様に悩み、相談にくる患者さんも少なくないということでしょうか。全ての回答はいただけましたが最後にひとつだけ尋ねてみることにしました。「先生、私の疾患は手術は可能でしょうか」 先生:「出来ますよ。(ここで先生は私のフルネームで呼びました)さん、もしあなたが私のオヤジなら絶対に止めます」私の完敗です。私がこれからこの持病とどう付き合っていくかーーー前へ進める言葉でした。

【センテ先生のどうでもいい話⑱】
 幸いにして私は不幸な人間ではありませんが、自他ともに認める不運な人間です。日々私に降り注がれる不運の数々を妻はプチ不運の男と揶揄しております。そんなささやかなプチ不運の話です。私は登山から帰ってきて、早速まず発泡酒を一杯飲み干しました。気分よく酒のつまみを作り始めました。玉ねぎ、ネギ、キャベツ、ソーセージ、ニンニクつぶして、オリ-ブオイルをふりかけ、最後に唐辛子を包丁で細かく刻んで振りかけて炒めれば完成ですが、ここでプチ不運が舞い降りてきたのです。台所の室温30度以上、調理を3すればたちまち顔面には球粒のような汗が噴き出したのです。ティシュでふけばよかったのですが、面倒くさくいので左手で顔の汗を何度も拭ってしまったのです。わずか数分後恐ろしい異変が起きたのです。顔がチリチリとし始めたのです。日焼けのせいか?と思っているうちに顔面は焼けるように!火を噴くかのように!燃え上がったのです。慌てて顔を洗うも時すでに遅し。そうなんです、唐辛子を刻んだ際に手を水洗いしなかったために知らずに唐辛子成分を汗まみれの顔に塗ったような状態になってしまったのです。日焼けも加えて約1時間苦悶苦闘の大騒ぎをしてしまいました。

【センテ先生のどうでもいい話⑰ 幻の山道】
 数十年前私は駒形山直下の雪渓におおわれた尾根を経塚山へと向かって歩いていていました。この時期雪が解けた箇所が何か所もあり、何気なく右側の尾根筋方へと歩いてみるとそこには平で直線の幅2メートル程度の見事な登山道が現れました。なぜこんな場所に登山道があるのだろうか?訝しくもこの登山道を歩いてみました。枯葉が敷き詰められたとても快適な歩きやすい道でした。一見すると結構歩かれている登山道のように思えましたが・・・しかし私の記憶の限りではこの尾根には登山道は存在しないはずなのです。すぐにこの登山道は雪に埋もれてしまいましたがどうみても自然に形成された道にはみえませんでした。かつての古道の残りかと推測してわたしはさらに奥へと歩みを進めていきました。下山後数日して何気なく30年前の古地図を引っ張り出して見てみましたが(古地図には当時ですら廃道同然の道が記されています)やはり道はありません。獣道?里山にはそのような道が隠れ道があることはよくあるのですが、あのような高所ではさすがに。その後も何回となくこの尾根を歩いたのですがいつも残雪に埋もれあの山道をみることはいまだにかないません。また数十年の時のせいか場所ですら不確かになりまさに幻となりました。私の記憶だけにある山道の話でした。

【センテ先生のどうでもいい話⑯ 私が物を落とすと・・・】
 私のプチ不運のひとつとして消える落下物という現象があります。普通の方が物を落とせば、落とした物はまっすぐ下へと落ちて床や地面に転がっているはずですが、私の場合は違うのです。無いのです!下に落ちたはずの物がどこにもないのです。薬の錠剤も画鋲も小銭もネジもメモ用紙もカードも視界から消えるのです。みんな落とした地点より移動して隠れてしまうのです。ウチのオクさんはアナタが落とした時動くから落し物が足にぶつかり移動するのよ!!と看破いたしました。が・・・しかし無いのです。落とした物は私の視界から消えるのです。あるの日の治療院の待合室でのことです。私の手から掲示板にはろうとした画鋲がひとつこぼれ落ちていったのです。案の定、下を見る限り床には画鋲は見当たりありません。そっとスリッパを脱いで足で蹴飛ばさないようにして身をかがめて画鋲を探しましたが・・・影も形も見当たりません。止む無くウチのオクさんに画鋲の捜索を依頼しましたが、さすがのウチのオクさんも発見できませんでした。しかし数日後ウチのオクさんはついに画鋲を見つけたのです。消えた画鋲は待合室の椅子の後ろに転がっていたのです。文章にすれば「それが?」ですが、これは奇跡です!画鋲が起こした奇跡なのです!!状況を説明いたしますと、画鋲が落下した地点より直線にして140㎝/椅子と壁の間を転がり、そこからカーブして60㎝椅子の後方を転がり止まったのです。落下地点より計200㎝何にもぶつかることなく移動したのです。さすがのウチのオクさんも脱帽でございました。こうして日々落とし、日々探しているのです

【センテ先生のどうでもいい話⑮ 子供は食べるのが遅い??】
 我が家ではみんなそば好きであります。子供たちも幼いころからもりもりとそばを食べて育ちました。すでに閉店いたしましたが、北上市に松苑という有名な蕎麦屋さんがあり、子供たちはこのお店の蕎麦が好きで年に1~2回を連れていって楽しんでおりました・・・とある日の松苑で蕎麦を食べてい時のことです。お昼前にいったのですが、子供のことですから食べるのが遅い!そのうちにお店には他のお客さんが増えてきました。このお店では店主が店内にて椅子に座り、気が向くと客に話かけてくるそういうお店でした。子供たちはようやく蕎麦を食べ終わり駆けたときに店主が椅子から立ち上がりこちらに向かってくるのが視界に入ってきました。また話しかけられるのかな?と思っていたところ仏頂面の店主の言葉は予想外の言葉でした。「店が込んできたので帰ってもらえませんか」「はあ、はい?」いままでいろんなお店で食べ歩いてきましたが食べている途中で帰れと言われたのは初めてのことでした。よほど子供たちの食べるスピードにイラついたうえでの言動だと思います。子供たちが楽しみしていたシメの蕎麦湯はなだめながらあきらめてもらい、早々に店を出ました。二度と行くことのないお店ですが、私も自営業のいち経営者として常に自戒しなければならない出来事でした。

【センテ先生のどうでもいい話⑭  妖怪ケータロー】             我が家には妖怪が住んでいます。名前はケータロー。子供たちがお風呂に入っているときガラス越しにサーッと駆けて行ったり、夜寝るときに天井で覗き込んでいたり、一人で部屋で遊んでいると隅で物音を立てたり、ドアの陰からスッと黒い姿を見せたりと子供たちを怖がらせて喜んでいる妖怪でした。時が過ぎ子供たちの成長とともにケータローは現れなくなりました。ケータローは他の子供のいる家にでも移っていったのだろうかと思っていた今日この頃何とまたあらわれイタズラを始めたのです。母が「サイフが無くなった!高価なダシの元が無くなった!果物のジュースが箱ごと無くなった!」と騒ぎ、さらにケータローのイタズラは母だけにとどまらず私にまでおよんできたのです「メガネが無い!診察券が無い!通帳が無い!ここにあったはずなのに!!etc・・・」本当に困った妖怪です。




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2年連続はなまる賞受賞??

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